スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

シナリオを書いてて気付いたこと


自分がアイドルマスターを題材にした小説、iDOL COMB@T-SoD-の執筆を始めたのが、一昨年の9月。
小説(と呼べるかどうかは別問題として)を書き出したのが中学2年生の頃だから、何だかんだで7年間、執筆活動と共に生活してきたことになる。

今回は、その7年間で自分が培ってきた小説に対する考えなどを、徒然なるままに書き記そうと思う。

かなり主観的な文章なので、読んでいて腹が立った方は可及的速やかにブラウザの戻るをクリックすることをお勧めします。
以下本文



「読み手」と「書き手」の違い

字面的に言えば読んでくれる人と文章を書く人、となる。では、両者の最大の相違点は何だろうか?

前者は、その小説に対しては真っさらな、つまり、世界観、舞台、そしてキャラクターにしろ、全く事前情報のない状態である。
対して後者は、前述した全ての要素を構成した張本人であり、全ての要素に於いて独自の世界観を有している。
当然と言えば極めて当然である事柄であるが、一つ間違えば小説世界をぶちこわしかねない、というよりはスタートで転ける最大要因がこれであると、私は考える。

言い方を変えよう。

とある学校に通う生徒が、学校行事で山にハイキングに出かけたとしよう。
季節は初夏、その山は若葉と花で覆い尽くされ、天気晴朗で風穏やか。絶好のハイキング日和だった。
後日、ハイキングに参加しなかった学校の先生から、感想文を書けと言われ、その生徒は感想文を書いた。
しかし、生徒が「山に登った。楽しかった」としか書かなかったとしたら?
再提出だとかそう言った問題は脇に置いておくとして、これでは先生はハイキングで何が起こったかが全く判らない状態となる。

この場合、生徒が「書き手」、先生が「読み手」となる。
前者は世界観を持ち(実際にハイキングで何が起こったか、それを体験している)
後者は世界観を持たない(ハイキングに参加していないのだから、当然)

頭の中で何らかの世界観を描けていたとしても、それを文章で表現しなければ、読み手には伝わらないのである。
最も、ニコニコ動画などでノベル形式の動画を作る場合には、背景画像やBGMといった、文章以外の手段での表現が可能となるわけであるが。
スポンサーサイト

comment

Secret

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。